2008.07.18
装丁の書き文字 Book Design #003
昔はけっこう書き文字でタイトルを作ったものだけど、最近はさっぱりだ。
昔とはDTP以前のことで、当時はまだ写植を紙の版下台紙に貼り付けて入校していた。若い編集者に「版下ってあの紙の、ですよね?」と言われてショックを受けたのももうかなり前のことである。
最近三角定規が生産中止になったと聞いて感慨にふけったりしているが、ちっとも驚かない若い人もいることだろう。烏口(からすぐち)まで持ち出すつもりはないが、製図板、T定規、三角定規、雲形定規、ディバイダー、ロットリング、ペーパーセメント――などを知らないデジタル世代がすでにいるかもしれない。遠くまで来てしまったとの感慨が無くもない。

鉛筆で下書きをしてだんだんと線をきめてゆくアナログの感覚が好きだ。これまでの書き文字はそうして作ってきた。墨入れをして最後に消しゴムで鉛筆の下書き線を消す。消しゴムのカスを払い、フッー…完成! といったメリハリがアナログ制作にはあった。なつかしい。
グラフィックデザインとは文字である、と言ってもあながち間違いではない。平面デザインにとって文字はそれほど重要な要素だ。装丁であるなら特にそうだ。
しかし、装丁界には平野甲賀という書き文字の巨人がいて大きな壁としてそびえ立っている。書き文字が「平野甲賀に似てるね」といわれるのが恐怖だった。昭和レトロ文字や、形を崩したカジュアルな文字はどうしても平野氏と比較されてしまう。本当は平野氏以前からこうした文字の伝統はあるのだが、平野氏の装丁界での実績を考えるとしかたのないところかもしれない。
「親米反米嫌米論」(新潮社)も、平野甲賀氏に似てると言われるのを心配して自分から訊ねてみたが、そんなことはないですよと編集者に言われてホッ胸をなで下ろした思い出がある。でもやっぱり似てるのかな。文字デザインをするときに平野さんの文字を参考にすることはないのだが。
「生きとし生けるものは」(講談社)は、編集者がかなり年配の男性だったのでこうした書き文字が受け入れられたのだと思う。素朴でシンプルな装丁が好きだからこれも悪くないと思っている。
「パン工房楽堂物語」(旧・草思社)はバフン紙という再生紙を使用した。質素な感じの紙に似合う文字デザインにしようと思った。確かこの装丁が草思社での最初の仕事だったはずだ。旧・草思社のTさん、どうもありがとう。新天地での活躍を祈念しています。
「おれの場合の大航海」(JICC)のタイトル文字は黒の箔押し。

「ろくでもない生活」(JICC)は一番気に入っている。こんな文字を書くのは楽しい。背景になっている英文もみんな手書きだ。ご苦労様といったところだが好きで書いているので苦痛ではない。しかしDTPになってから書かなくなったなあ…。DTPでも出来るのでやればいいのだが、何となくその気にならない。
「オウムと全共闘」(旧・草思社)は、「看板のような文字で」との編集者からの要請を受け、マジックインキでさっと書いた。5分もかからなかった。
「イタリアの幸せなキッチン」(旧・草思社)。ま、ありがちな書き文字。でもこんな文字が好きだ。
「聖楽堂酔夢譚」(本の雑誌社)は、装丁家の多田進さんから依頼されてタイトル文字だけをデザインした昭和レトロ書体だ。
DTP時代になって、デザイナーズフォントが飛躍的に増え、フォントの選択が潤沢になったことも書き文字を制作しなくなった理由のひとつかもしれない。
DTPの恩恵は十分感じているが、突然DTPが出来なくなって写植と紙の版下へと時代が逆戻りしても特に困ることはない――などとつい言わなくてもいいことを言ってしまうのは、中年になってからデジタルへの移行を余儀なくされた昭和世代の意地かな。
次回は装丁の紙について思うところを話してみたい。
昔とはDTP以前のことで、当時はまだ写植を紙の版下台紙に貼り付けて入校していた。若い編集者に「版下ってあの紙の、ですよね?」と言われてショックを受けたのももうかなり前のことである。
最近三角定規が生産中止になったと聞いて感慨にふけったりしているが、ちっとも驚かない若い人もいることだろう。烏口(からすぐち)まで持ち出すつもりはないが、製図板、T定規、三角定規、雲形定規、ディバイダー、ロットリング、ペーパーセメント――などを知らないデジタル世代がすでにいるかもしれない。遠くまで来てしまったとの感慨が無くもない。

鉛筆で下書きをしてだんだんと線をきめてゆくアナログの感覚が好きだ。これまでの書き文字はそうして作ってきた。墨入れをして最後に消しゴムで鉛筆の下書き線を消す。消しゴムのカスを払い、フッー…完成! といったメリハリがアナログ制作にはあった。なつかしい。
グラフィックデザインとは文字である、と言ってもあながち間違いではない。平面デザインにとって文字はそれほど重要な要素だ。装丁であるなら特にそうだ。
しかし、装丁界には平野甲賀という書き文字の巨人がいて大きな壁としてそびえ立っている。書き文字が「平野甲賀に似てるね」といわれるのが恐怖だった。昭和レトロ文字や、形を崩したカジュアルな文字はどうしても平野氏と比較されてしまう。本当は平野氏以前からこうした文字の伝統はあるのだが、平野氏の装丁界での実績を考えるとしかたのないところかもしれない。
「親米反米嫌米論」(新潮社)も、平野甲賀氏に似てると言われるのを心配して自分から訊ねてみたが、そんなことはないですよと編集者に言われてホッ胸をなで下ろした思い出がある。でもやっぱり似てるのかな。文字デザインをするときに平野さんの文字を参考にすることはないのだが。
「生きとし生けるものは」(講談社)は、編集者がかなり年配の男性だったのでこうした書き文字が受け入れられたのだと思う。素朴でシンプルな装丁が好きだからこれも悪くないと思っている。
「パン工房楽堂物語」(旧・草思社)はバフン紙という再生紙を使用した。質素な感じの紙に似合う文字デザインにしようと思った。確かこの装丁が草思社での最初の仕事だったはずだ。旧・草思社のTさん、どうもありがとう。新天地での活躍を祈念しています。
「おれの場合の大航海」(JICC)のタイトル文字は黒の箔押し。

「ろくでもない生活」(JICC)は一番気に入っている。こんな文字を書くのは楽しい。背景になっている英文もみんな手書きだ。ご苦労様といったところだが好きで書いているので苦痛ではない。しかしDTPになってから書かなくなったなあ…。DTPでも出来るのでやればいいのだが、何となくその気にならない。
「オウムと全共闘」(旧・草思社)は、「看板のような文字で」との編集者からの要請を受け、マジックインキでさっと書いた。5分もかからなかった。
「イタリアの幸せなキッチン」(旧・草思社)。ま、ありがちな書き文字。でもこんな文字が好きだ。
「聖楽堂酔夢譚」(本の雑誌社)は、装丁家の多田進さんから依頼されてタイトル文字だけをデザインした昭和レトロ書体だ。
DTP時代になって、デザイナーズフォントが飛躍的に増え、フォントの選択が潤沢になったことも書き文字を制作しなくなった理由のひとつかもしれない。
DTPの恩恵は十分感じているが、突然DTPが出来なくなって写植と紙の版下へと時代が逆戻りしても特に困ることはない――などとつい言わなくてもいいことを言ってしまうのは、中年になってからデジタルへの移行を余儀なくされた昭和世代の意地かな。
次回は装丁の紙について思うところを話してみたい。
2008.07.17
帯とカバーの素敵な関係? Book Design #002
近頃では帯がスペースの半分以上を占めている本をしばしば見かける。
帯にもカバーと同じ4色を使い、カバーと同じイラストや写真を同じ位置に繰り返していたりする。これではもはや帯と呼べないのではないか。いっそのこと帯の要素をカバーに取り込んでも不都合ないのではないか――。
ということで、帯とカバーの関係を自作を例にとりながら掘り下げてみることにする。

『殺人評論』は1992年頃の私の初期の仕事で、出版社の青弓社は帯を作らず、必要なテキストはすべてカバーに入れるのが社の方針だった。
もしこのデザインで帯をつけると、タイトル文字の「人」、「論」を帯で繰り返すことになるだろう。そうまでして帯が必要だろうか。当時の記憶では、帯がないせいで、四六判のサイズを大きく使えてよかったとの印象が強かった。帯の無いほうがダイナミックなデザインができると思う。
『日米映画戦』もやはり青弓社の本で、帯のテキスト要素をカバーの上の位置で処理している。帯が無いおかげでカバー全体を自由に使えてよかった。
『仁義なき映画論』は太田出版の本で、下半分近くは帯である。わかりやすくするため画像ではカバーと帯の色をわずかに違えているが、実際は同じ紙である。帯を外すと下には何もない。だから本当は帯が無いと成立しないデザインかもしれない。だったらカバーだけで処理すればいいのではないか、と自分で言ってたら世話がないのだが…。
『だから、金持ちになれた「すごい習慣」!』はサンマーク出版の本で、下の赤い部分が帯である。帯の下はカバーの“壁紙”が連続している。このデザインも帯を止めてカバーに要素のすべて入れてもいいと思うが、少し微妙なところもある。
帯のデザインは派手にして書店での広告的効果を狙い、購入後の読者の書棚では帯を外してもっと落ち着いた装丁に…、という思いがあって、この場合は帯とカバーに分かれている方がよかったと思う。
『あなたもこうしてダマされる』(旧・草思社)も約下半分は帯で、帯の下は白地である。このデザインも書店と、読者の書棚での二重効果を狙っている。
帯には書店でアイキャッチの機能をもたせ、帯を外したカバーは読者の自宅の書棚用に落ち着いたデザインにする、といった二重の装丁効果を狙うには帯の存在が有効だ。
デザイナーの立場から帯の効用を考えると、帯とカバーの良好な関係はこうした二重効果に落ち着つのではないか。
個人的な正直な気持ちは、帯はあってもいいし、無くなってもいい、どちらでもそれなりにうまくデザインします、といったところである。職人ですから。
*****
次回はタイトルのデザイン文字(書き文字)について、やはり自作を例にとりながら掘り下げてみたい。
帯にもカバーと同じ4色を使い、カバーと同じイラストや写真を同じ位置に繰り返していたりする。これではもはや帯と呼べないのではないか。いっそのこと帯の要素をカバーに取り込んでも不都合ないのではないか――。
ということで、帯とカバーの関係を自作を例にとりながら掘り下げてみることにする。

『殺人評論』は1992年頃の私の初期の仕事で、出版社の青弓社は帯を作らず、必要なテキストはすべてカバーに入れるのが社の方針だった。
もしこのデザインで帯をつけると、タイトル文字の「人」、「論」を帯で繰り返すことになるだろう。そうまでして帯が必要だろうか。当時の記憶では、帯がないせいで、四六判のサイズを大きく使えてよかったとの印象が強かった。帯の無いほうがダイナミックなデザインができると思う。
『日米映画戦』もやはり青弓社の本で、帯のテキスト要素をカバーの上の位置で処理している。帯が無いおかげでカバー全体を自由に使えてよかった。
『仁義なき映画論』は太田出版の本で、下半分近くは帯である。わかりやすくするため画像ではカバーと帯の色をわずかに違えているが、実際は同じ紙である。帯を外すと下には何もない。だから本当は帯が無いと成立しないデザインかもしれない。だったらカバーだけで処理すればいいのではないか、と自分で言ってたら世話がないのだが…。
『だから、金持ちになれた「すごい習慣」!』はサンマーク出版の本で、下の赤い部分が帯である。帯の下はカバーの“壁紙”が連続している。このデザインも帯を止めてカバーに要素のすべて入れてもいいと思うが、少し微妙なところもある。
帯のデザインは派手にして書店での広告的効果を狙い、購入後の読者の書棚では帯を外してもっと落ち着いた装丁に…、という思いがあって、この場合は帯とカバーに分かれている方がよかったと思う。
『あなたもこうしてダマされる』(旧・草思社)も約下半分は帯で、帯の下は白地である。このデザインも書店と、読者の書棚での二重効果を狙っている。
帯には書店でアイキャッチの機能をもたせ、帯を外したカバーは読者の自宅の書棚用に落ち着いたデザインにする、といった二重の装丁効果を狙うには帯の存在が有効だ。
デザイナーの立場から帯の効用を考えると、帯とカバーの良好な関係はこうした二重効果に落ち着つのではないか。
個人的な正直な気持ちは、帯はあってもいいし、無くなってもいい、どちらでもそれなりにうまくデザインします、といったところである。職人ですから。
*****
次回はタイトルのデザイン文字(書き文字)について、やはり自作を例にとりながら掘り下げてみたい。
2008.07.16
“ゆるいデザイン”事情 Book Design #001
『本当のところ、なぜ人は病気になるのか?』

「ゆるいデザイン」の定義を、「文字やイラストの位置が2〜3ミリずれても基本デザインがゆるがないような骨太のデザイン」と一応定めてみる。
上の装丁はそうした「ゆるいデザイン」を心がけてデザインしたものだが、なかなか思うようにはいかなかった。
イン・デザインを使ってレイアウトしているが、インデザインのカーソル移動はデフォルトで1歯だから1/4ミリが最小移動である。2〜3ミリのずれを気にしないどころか、結局この1/4ミリのカーソルを何度も移動させて最終的な位置決めをするありさまだった。大塚砂織さんの洒脱なイラストに助けられて、なんとかゆるい感じは出せたと思うが、どうも「ゆるいデザイン」が苦手だ。
タイトルは既成のフォントだが、一文字づつ大きさや角度を変えて変化をつけた。インデザインはこのあたりの自由度が素晴らしい。
もうひとつ心がけたのが「フラット・デザイン」で、当初はイラスト以外の文字色はグレー一色にするつもりでいた。しかし、あまりに地味すぎるので自主規制して色をつけてしまった。つい全体のバランスを考えてまとめてしまう。テーマを徹底できないあたりが職人である自分の限界かもしれない。
帯はとっぱらった。
128ミリ×188ミリしかない小さな四六判サイズの下1/3近くを占領する帯はデザインの大きな制約だ。その制約をなんとか解消する手段として、カバーデザインと一体化された帯を装丁家自身が制作するようになって久しい。近頃ではカバースペースの半分を占める幅広の帯も珍しくなく、帯とカバーの関係があいまになっているように感じる。
帯を別紙にする必要性がどれだけあるだろう? という疑問は前から持っていた。どうせ必要なものならカバーデザインの中にとりこんでもかまわないだろう。その方がコストの低減にもなる。
この考えを進めると、帯テキストはなにも下にある必要はない。もっとカバーデザインと渾然一体となってもかまわないのかもしれない。それを積極的に提案するつもりはないが…。
次回(たぶん明日)は、私のこれまでの仕事から、帯とカバーが一体になったデザインをピックアップして両者の関係を考えてみることにする。
早川書房 2008年7月刊
ダリアン・リーダー&デイヴィッド・コーフィールド 著 小野木明恵 訳
イラスト:大塚砂織
四六判 並製
ダリアン・リーダー&デイヴィッド・コーフィールド 著 小野木明恵 訳
イラスト:大塚砂織
四六判 並製

「ゆるいデザイン」の定義を、「文字やイラストの位置が2〜3ミリずれても基本デザインがゆるがないような骨太のデザイン」と一応定めてみる。
上の装丁はそうした「ゆるいデザイン」を心がけてデザインしたものだが、なかなか思うようにはいかなかった。
イン・デザインを使ってレイアウトしているが、インデザインのカーソル移動はデフォルトで1歯だから1/4ミリが最小移動である。2〜3ミリのずれを気にしないどころか、結局この1/4ミリのカーソルを何度も移動させて最終的な位置決めをするありさまだった。大塚砂織さんの洒脱なイラストに助けられて、なんとかゆるい感じは出せたと思うが、どうも「ゆるいデザイン」が苦手だ。
タイトルは既成のフォントだが、一文字づつ大きさや角度を変えて変化をつけた。インデザインはこのあたりの自由度が素晴らしい。
もうひとつ心がけたのが「フラット・デザイン」で、当初はイラスト以外の文字色はグレー一色にするつもりでいた。しかし、あまりに地味すぎるので自主規制して色をつけてしまった。つい全体のバランスを考えてまとめてしまう。テーマを徹底できないあたりが職人である自分の限界かもしれない。
帯はとっぱらった。
128ミリ×188ミリしかない小さな四六判サイズの下1/3近くを占領する帯はデザインの大きな制約だ。その制約をなんとか解消する手段として、カバーデザインと一体化された帯を装丁家自身が制作するようになって久しい。近頃ではカバースペースの半分を占める幅広の帯も珍しくなく、帯とカバーの関係があいまになっているように感じる。
帯を別紙にする必要性がどれだけあるだろう? という疑問は前から持っていた。どうせ必要なものならカバーデザインの中にとりこんでもかまわないだろう。その方がコストの低減にもなる。
この考えを進めると、帯テキストはなにも下にある必要はない。もっとカバーデザインと渾然一体となってもかまわないのかもしれない。それを積極的に提案するつもりはないが…。
次回(たぶん明日)は、私のこれまでの仕事から、帯とカバーが一体になったデザインをピックアップして両者の関係を考えてみることにする。


