2007.05.10
ポスター化する装丁デザイン

駅前に張られる広告ポスターに「飽きの来ないデザイン」が要求されることはない。求められるのは、通りすがりの人間にも認知されるような刺激の強さである。一瞬のうちに見てもらわないといけないポスターに刺激の強さは必要な条件だ。したがって広告ポスターは新奇さを狙ったデザインが主流になる。
こうした広告ポスターと同じ考えで制作されている装丁が増えてきたような気がする。先日取り上げた文藝春秋の「はじめての文学シリーズ」の装丁は私に言わせてもらうと「ポスター」である。書籍だって商品だから、書店で目立つ方がいいに決まっている。そもそも目にとまらないと始まらないから、出版不況が続いている現況で少しでも目立つ装丁を求める編集者の気持ちも理解できる。しかし書店に来る客は街の通りすがりの人間ではない。本を求めてやって来ている人間に広告ポスターもどきの強い刺激は必要ないだろう。一過性の目立つことだけを優先させたデザインは装丁にはふさわしくない。このことはデザイナーにはもちろん、編集者にも強く言いたい。編集者の要請が装丁のポスター化を助長している面があると思うからだ。
しかし、本当は装丁デザイン以前の問題かもしれない。
広告のような一過性の強い安易な本が増えていることこそが真の問題だといったら言い過ぎか。言い過ぎだね。
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