リニューアルされた講談社現代新書についてはすでに書いたし、ウェブでも圧倒的に批判の方が多いので、これ以上は繰り返さない。ここでは帯について話したい。各社の新書の「帯汚し」には目に余るものがあるからだ。
「帯汚し」とは私の造語であり、定義は以下のとおりである。
【帯汚し】
【帯汚し】
カバーデザインはそれなりのバランスや本らしい品の良さが求められる。しかし、帯はどうせ買ったあとはずすものだし、広告スペースだから、帯では思い切ったことが許される。デザインセンスなどとは無縁の好き勝手をやっても帯ならかまわない……とする考え。また、その考えが生み出した醜悪きわまりない帯のこと。

実際、新書の帯はデザインの無法地帯と化している。
この時期なら、「春のフレッシュマンフェア」とか「新社会人必携!」などという文字がスーバーのちらしも裸足で逃げ出すような下品でばかでかい文字で印刷されて巻き付けられている。帯の幅も拡大サイズになっているから醜悪さもいっそう増している。本のテーマに関係ない帯なので、言葉がそもそも意味を失っている。相乗効果で目立てばいい、との考えだけで作られた帯であり、歩道橋にとりつけられた春の交通安全週間の横断幕のようなものでしかない。
もし、書店の帯が濡れていたらそれは私の涙だと思って欲しい。

なかでもひどいのが、またもや講談社現代新書である。上の例のような「キャンペーン帯」ならすぐまた外されるだろうからまだましだともいえる。しかし、講談社現代新書のこの帯(画像)は通常の帯である。
タイトルより大きな文字が中央まで飛び出してきて、デザインの核であるはずの■図形を堂々と汚している。もはやバランスもなにもあったものではない。これではカバーでなく全体が帯である。これを見たときは唖然とした。

現代新書のデザインは世間から酷評されてしまったわけだが、編集部もデザインを守る意志が皆無のようだ。まさかデザイナーがこの帯のデザインを考えたわけではあるまい。私が思うに、現代新書編集部はこのデザインをすでに見捨てたのではないか。近々、新しいデザインがお目見えするような気がする。




さきほどアマゾンで本を注文したら、一時間もしないうちに発送完了のメールが届いた。日曜日の午前中なのに、これはすごい。
ネットで調べものをしていて、サイトが興味ある書籍に言及していると、すぐアマゾンにジャンプしてチェックする癖がついてしまった。直接アマゾンにリンクしている親切(?)なサイトも多いので、この傾向は高まるばかりだ。あとでぎょっとするほど多くの本を注文していることに気づき、クレジットカードの支払いが心配になったりする。

ネットの普及が出版不況に拍車をかけるのではと心配されたのはほんの数年前だが、すぐそれは杞憂であることがわかった。わたしの場合はネットを利用するようになって逆に書籍の購入が以前より増えた。もともとの読書量が少ないので増えたといってもたいしたことはないが、同じ経験を持つ人も少なくないと思う。
この先もネットと書籍は棲み分けが可能だと思っている。