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カバーデザインといっしょに本文の文字組版(以下、組版)を依頼されることがままある。しかし、組版は編集者の守備範囲だと思っているのでこれまでは断ることが多かった。デザイナーが参加する組版は、詩集やビジュアル本など特殊な本に限ると思っていた。ところが、DTPソフトによる組版が主流になってから時々ひどい組版を見かけることもあって、組版もデザイナーが関与しないといけない時代かも知れないと考えるようになった。

厳密に言えば、組版と版面設計は別ものだが、実際は一体のものとして認識されている場合が多いと思う。
組版は、行頭・行末の処理、字間の空き処理などのことであり、文字書体・大きさ・行間・行長・マージン処理などは版面設計の範疇に属する。版面設計はデザインセオリーに関わる領域であり、ルールとして処理される組版とは性質を異にする。そうはいっても、版面設計にも歴史を経た多くの定石が存在しており、その定石を経験上体得している編集者は版面設計においても専門家(のはず)である。
しかし、DTPの登場でその伝統が崩れかけてはいないだろうか。マージンのバランスの悪さ、狭すぎる行間、大きすぎる小見出し、ふさわしくない書体、いわゆる「ウィドウ」や「オーファン」、一貫性を欠く処理など、不適切な組版/版面設計を見かけるたびにどうしてしまったのかと心配になる。昔はあまりひどい組版/版面設計はなかったように思う。ベテラン編集者は後輩の新人編集者に組版/版面設計の基本をちゃんと教えているのだろうか。
数年前、仕事(組版は請けてなかったが)で、オーファンやウィドウが気になって編集者にそのことを指摘したことがあるが、乗り気の無い返事しかもらえなかった。
その出版社からの仕事はそれっきりになった。


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ベテラン編集者が読むかも知れないブログで組版の話をするのは少々腰が引けるが、レイアウトソフトに本文テキストを流し込めばそれでOKと考えているような新人編集者を想定して話しを進めたい。

組版は端的に言うと「約物(やくもの)」の処理に関するルールである。ならば話は単純なはずだが、実際にそうはいかないのは、何百ページもの書籍では、こちらでルールをたてるとあちらでルールが守れないといった事態が頻発するからである。一通りのルールでは処理できないのが組版なのである。出版社ごとに独自の組版ルール(ハウス・ルール)が存在するのもこのためであり、先輩編集者が後輩に教える際の難しさもそこにあるのだろう。


組版ルール自体は決して難しいものではない。難しい点があるとすると、それは組版に対する感受性である。読みやすい組版、読みにくい組版、美しい組版、美しくない組版に対するこだわり(感受性)こそ求められる能力である。そもそも組版は「読みやすく、誤解をまねかない文字の組み方」のことだから、ルール以前に読みやすい文字組がどのようなものかを判断できないと話にならない。しかし、こちらは参考書を読んだくらいでは身に付かないかも知れない。多くの組版を眺めても、どの組版も同じに見えてしまう、どこが違うのかわからない、どっちでもいい、としか感じないとしたら感受性に問題があると言わざるをえない。

話を続ける前に、むごい組版(と言うより版面設計だが、面倒なので組版という言い方ですすめる)のひとつの例をウェブサイトで確認してみよう。どうせなら有名サイトがいいので、一日のページビュー140万を誇る「ほぼ日刊イトイ新聞」からピックアップした。
まずはサイトを見て欲しい。


どう感じただろう。
ウェブとはいえ、いまだに行間がベタの上、短い文章を句読点で改行している。文章をこれだけぶつ切りにしてしまっては、読みにくいことはなはだしい。段落は本来一つの意味の固まりである。それを無視して改行しては内容がスムースに頭にはいってこない。(組版でなくテキストの問題だとする考えはここではとらない。)
ウェブは紙の本と違い、組版が難しいという事情はある。しかし、このサイトの組版のむごさはそれだけが理由ではないだろう。組版への無関心、あるいは感受性(の鈍さ)に理由があるのではないか。

「改行が多くて読みやすかった。」
などと間違っても言わないでもらいたい。


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基本日本語文字組版 逆井 克己著

*お勧め本
文字組版の基本を実例を挙げながらわかりやすく解説している。
が、絶版となった今ではずいぶん高価になってしまったようだ。


(文字組版について その2へ続く)