2007.06.16
見えない、読めない雑誌デザイン

この画像は『芸術新潮』の見開きページである。ディック・ブルーナの作品が6点紹介されている。が、中央の2点は「ノド」に食われてよく見えない。無理に押し広げればもう少し見えてくるがそれでも中央の2点の絵がひどく見づらいことに変わりない。これは単にレイアウトの失敗作なのだろうか。そうではないと思う。少なくとも当のデザイナーはそうは考えていないはずだ。実はこうした「ノド食われ」レイアウトは他のグラビア雑誌でも決して珍しくない。どうやら、見開きページ中央の絵柄がノドに食われて見えなくなってもレイアウトの失敗だとは自覚されていないようなのだ。
なぜこのようなレイアウトがまかり通っているのだろう。絵がちゃんと見えるように、別のレイアウトができなかったのだろうか。デザイナーも編集者も雑誌ができあがった時点でこのページに眼を通したはずだ。いや、レイアウトの段階で、色校の段階で容易に結果は予想できたはずだ。これではまずいと感じなかったのだろうか。
いまだにこうしたレイアウトが後を絶たないのは、このままでも別にかまわないと考えているからだとしか思えない。そうだとしたら、その考えはどこから生まれてくるのだろう。もっと大事な何かのために写真/絵が犠牲にされているとしたら、そのもっと大事なものとはなにか。
ここからは私の想像だが、たぶんそれはレイアウト原理主義思想だろう。
まずかっこいいレイアウトありきで、内容(この場合はブルーナの絵)はレイアウトを引き立てるマテリアルとしての扱いしか受けていないのだ。編集者や読者もレイアウトの斬新さでデザイナーの仕事を評価しがちだから、デザイナーがレイアウトで自分の仕事をアピールしたい気持ちは分かる。しかし、レイアウトは内容を盛る容器である。内容を引き立てるのが容器の役割だ。ディック・ブルーナ特集号で、メイン・ディッシュであるべきブルーナの絵が容器のせいで粗末に扱われるようでは本末転倒ではないか。ディック・ブルーナへのリスペクトが多少でもあればこのようなレイアウトはそもそもできないはずだ。内容への無関心が生み出したレイアウトであると言えるだろう。
こうしたレイアウトが生じるもうひとつの原因は、「グリッド・システム」を効率本位で適用したためだろう。時間も予算も限られている雑誌デザインは、基本フォーマットをもとに、効率よくレイアウトせざるを得ないのが実情である。ある程度しかたのないことだが、しかし、すべてをグリット主義で押し通してしまうとこんな結果を生み出してしまう。見せ方のポイントになるところぐらいは手間をかけてでも調整すべきだろう。
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批判してばかりでもあれなので、今のレイアウトをベースにして「ノド食われレイアウト」を修正してみたのが上の画像である。これで6点の絵をすべて問題なく見ることができる。ブルーナの絵の大きさもほとんど同じだ。
レイアウトがつまらなくなったと感じる人がいるかも知れないが、ブルーナの絵を犠牲にしてでも守るべき価値がオリジナルのレイアウトにあるとは思えない。

次に、こちらは”デザインのメイキングマガジン”『デザインノート』の見開きページである。

そしてその本文文字部分を拡大した画像だ(実際の文字サイズはもっと小さい)。
長文の文章がすべて袋文字になっている。なぜ文字にこんな細工をしなければならないのか。これではとても読む気になれない。写真をトリミングするなり縮小するなりして文字のスペースを確保できなかったのだろうか。これもレイアウトのためには文字が犠牲になってもかまわないと考える、レイアウト原理主義的美意識が生み出した一例だと言えるだろう。
色校正の段階で編集者とデザイナーはこの文章を実際に読んでみたのだろうか。読んだ上で、これで問題無しと判断したのか。そうだとしたら本文文字に対する見識を疑われてもしかたないのではないか。
雑誌のアートディレクションで成功して有名アートディレクターが誕生するご時世である。デザイナーがビジュアルを前面に打ち出した個性的なレイアウトにしたい気持ちはもちろん理解できるし、それを全面的に否定するつもりもない。許される範囲を超えてデザインが暴走する危険性に警鐘をならしたいと思っているだけである。
ここで取り上げた例は、芸術やデザイン関係の雑誌だから、エッジの効いたレイアウトにするため絵や文字を犠牲にしても許されると考えたのかもしれない。実際、書籍をまるまる、造本・装丁のためのマテリアル扱いした高名なデザイナーの仕事が高く評価されている事実もあるぐらいだから、若いデザイナーがレイアウト本位のデザインに誘惑を感じるのもわからなくはない。しかし、あくまで絵は見えなくてはならないし、文字は読めなくてはならない。保守的だと批判されるかも知れないが、それが雑誌レイアウトの基本のキであると思っている。もし、前衛的なイメージや過激さを演出したい目的があるなら、レイアウ至上主義的ページを特別に設ける方法もあるだろう。しかし、伝えるべき内容のあるページでは、デザイナーはその内容への関心や配慮を心にとめた上で、ビジュアルや文字を犠牲にしないレイアウトを考えるべきであろう。
見えない絵/写真、読めない文字をこれ以上増やさないで欲しい。
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