上田義彦による日本郵政グループの一連の広告写真が素晴らしい。こんな広告を見せられると日本郵政グループが好きになってしまいそうだ。
何を撮っても静謐で透明な上田調になり、それは時として叙情的すぎ、軟弱と感じないでもない。「叙情とはうつろな容器に溜まっていく液体」である、と突き放す美術評論家もいるが、日本人は湿っぽい叙情が大好きなのである。それは一概に否定すべきものでもないだろう。
デジタルカメラ全盛の昨今、ディアドルフ8×10という旧式な大型カメラを使い続けるところにプロの凄みを感じる。道具に利便や合理性以上のこだわりを求めるのは、優れたアルチザンに共通する流儀である。





前著『ウェブ進化論』は、私たちにWEB2.0の「向こう側」を概観して見せてくれた。今回の『ウェブ時代をゆく』は、ウェブ時代をサバイバルする方法を教示してくれる。

ただし、著者が想定する読者は、「学習の高速道路」(p87)を勤勉にドライブする人や、「渋滞」を抜け出しその先に進もうとする意欲のある人間だけであり、偽装請負の製造工場で過酷な労働を強いられている派遣社員や、日雇い派遣で食いつないでいる若き「ネットカフェ難民」などのワーキングプアーたちは含まれない。彼/彼女らは自分の境遇を社会や他人のせいにする自助精神を欠いた人間としてあっさりと捨象されている。
「社会をどうこうかと考える前に、現実問題として個がしたたかに生き延びられなければ何もはじまらない」とする著者の考えに同意するが、新自由主義が猛威をふるっているこの日本で”それしか言わない”で、ただ好きな道を見つけて邁進しろと言うだけではこの本が想定している若い読者をミスリードすることになりはしないかと危惧する。梅田氏の口ぶりは、すべてにおいて自己責任だとする新自由主義のお得意のセリフに重なる。梅田氏は日本は今も十分に豊かな国であるとの認識をもっていて格差問題に関心が薄いように感じる。アメリカ在住が長いので日本の現状にうとくなっているのかもしれない。
ただ、梅田氏はあくまで経営コンサルタントでありジャーナリストではないし、日本社会の分析をしている本でもないから、だからといって「下流労働者」に冷淡だとは思わないが。

梅田氏のオプティミズムは、今回も身内とも言えるIT業界人からまっさきに攻撃を受けている。私のような門外漢には、時代の最先端であり、輝かしいフロンティアとしてのイメージが強いIT業界だが、実際にそこで働く技術者たちは自分を「IT土方」と揶揄し、かっての「3K」どころか「7K」業種だと自虐的に語っている。
7Kとは、きつい、帰れない、給料が安い、規則が厳しい、休暇がとれない、化粧がのらない、結婚できない――であるらしい。
現実に絶望するあまり鬱病になった若いIT技術者のコメントも目にした。日本のIT業界は若い技術者が将来の夢を語れるような状況になく、梅田氏のオプティミズムの対極に位置するようなのだ。「好きをつらぬき」、「人生をうずめて」もその先には絶望しか待っていないのが現実だと言うのだ。IT技術者でもなく業界人でもない私のような人間は、梅田氏が展望するつきぬけたオプティミズムと、「IT土方」たちが語る現実とのギャップの大きさに戸惑ってしまう。


「学習の高速道路論」は私の属するデザイン業界にもあてはまる。
デザインのデジタル化(DTP)の浸透はアナログ時代のデザイン制作に激変をもたらした。DTPで制作できないデザイナーは優秀であっても DTP時代をサバイバルできない。その反面、デザイン・アプリケーションの登場が、かってなら適性に問題があると見なされるような人間にもデザイナーへの道を開いた。DTPはデザインのコモディティ化への圧力を強め、相対的にデザイン料を低下させ、労働は過重になった。DTPはデザイナーを「下流化」させる一因となり、「IT土方」ならぬ、「DTP土方」による「渋滞」を生み出している。そこを抜け出す心構えと方法を提唱したのが『ウェブ時代をゆく』というわけだが、厳しい現実を思えば、著者の自己啓発的なオプティミズムがややもするとうつろに響くのも正直なところだ。



私は梅田氏がこの本で読者として想定している若い世代ではない。著者より年長であり、フリーランス・デザイナーとして「けものみち」を這うようにしてすでに20年近くを生きてきた人間である。それでも、正直言って『ウェブ時代をゆく』のオプティミズムに強い刺激をうけた。『ウェブ進化論』、『ウェブ時代をゆく』の読後感は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだ時と似ていた。顔を上げ、(困難ではあっても)将来の夢をまっすぐ見つめる人間たちのイメージが重なるのだ。
閉塞した平成を生きている私たちが見失った「明るい未来」がここにはあり、そのことが読後の昂揚感をもたらしてくれた。あるいは私が脳天気なだけかもしれない。上述したように、梅田氏のオプティミズムが厳しい現実とのギャップを感じさせるのは確かだが、本書が若者向けであることを考えるとこれでいいと思う。
それにしても、自分の若い頃にウェブがあり、梅田氏のこのような本があればと、若い読者をつくづくうらやましく思う。


ご乱心の殿があっけなく辞意を撤回して城に戻ることになった。小沢のバカヤローと言いたいが、脱力してその気になれない。彼にフリーハンドを与えて、一体この先民主党はどうするつもりなのか。夕方に記者会見があるようなので、納得のいく説明を期待したい。ぜひ納得の行く説明をしてほしい。

大将が天下分け目の関ヶ原決戦を前にして敵に寝返った。その理由は、勝てそうにないから。
みんなもオレに従え、そうしないなら子分をつれてオレたちだけで敵陣営に寝返るぞ。それでいいのか!
殿、あまりにもご無体な!
今一度再考を!
爺の一生のお願いでござる。
そうか、爺がそこまで言うなら思い直してやるか。

これが今回の小沢の乱の顛末である。
小沢は党首になった今も民主党内で「外様意識」をもっていると思う。たぶん自分を民主党員だとは考えておらず、それ以上の超越的存在だと思っているはずだ。政権担当経験のない民主党に対して経験者としての優越感はあっても同志意識は持っていない。いつでも離党する用意がある。だから党を分裂させるかもしれない行為にも抵抗を感じないのである。

納得できないのは、民主党幹部にもに相談しないまま勝手に大連立を構想し、反対されるとさっさとケツをまくってホテルに逃げ込んだことだ。民主党の同志や国民を説得する努力をしない。あの織田信長だってもう少し相談したことだろう。「寄らしむべし、知らしむべからず」の旧田中派時代の流儀を彼は野党に下っても変えることができず、横車を押し続けている。大連立構想の是非以前に、彼のこうした専横な手法に問題の本質があるのだ。
党首になった時、「私も変わらなければならない」と小沢は決意を示したが結局最後まで変わることがなかった。こんな人物が首相になったら恐怖政治が始まるに違いない。いや、首相になる前に民主党内でそれが始まることが心配だ。鳩山幹事長や菅代表代行がこれほどまで平身低頭で小沢代表の翻意を促しているのは、鳩山と菅の二人が事前に小沢から大連立構想を相談されていたせいではないか。小沢を批判すると自分たちに跳ね返る心配をしているのではないか。
――やっぱり、二人きりの密室談合はよくないな。人を疑心暗鬼にさせる。自民は官房長官、民主は幹事長ぐらい同席させるべきだった。


1955年の保守合同によって自由民主党が誕生していらい、瞬間的な交代を別にすれば今日まで自民党政権が延々と続いてきた。個人的な話で恐縮だが、このままでは本格的な政権交代を見ないまま生涯を終えることになると半ばあきらめていた。ひとつの政権が人の一生を通じて変わらないなんて異常だ。これでは政権が腐敗するのも当然だと暗澹たる思いをずっと抱いてきた。しかし、先の参院選での民主党の大勝でひょとすると政権交代があり得るかもしれない、淀んだ水が流れるかも知れないと考えるようになった。政権交代の橋は次の選挙では完成しないとしても、次の次には向こうまで届くかもしれないとの淡い期待が生まれた。しかし、その橋を小沢は無惨に破壊してしまった。ついでに民主党までも壊してしまった。民主党に政権交代の期待を寄せた国民の希望も吹き消した。

彼が恥を忍んで戻ってきても民主党の再生は困難だろう。小沢さんは今回の騒動を都合良く決着させて自己の権限を強化するかも知れないが、国民の民主党への不信は簡単には払拭できないだろう。そのことが、今後は影での密室談合を促進し、大政翼賛会的合意形成を増幅する結果になるかもしれない。政治は劣化し過去に逆戻りすることになる。こんどの小沢騒動で時計の針が少なくとも5年は逆に回ってしまった。
まったくもって、小沢という男の罪は甚大だと言わざるを得ない。