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これまでの取材方法や記事の書き方ではもはや通用しない――
そうした認識を持つことがこれからの新聞記者にとって最も肝心なのではないか。
取材された者がリアルタイムで取材のプロセスをブログに公開でき、新聞に書かれた記事について誰もが掲示板やブログ、SNSなどで反論し、ネットユーザー間で広く議論できる時代になった。旧来の取材に慣れ親しんだ記者がこうした変化をやっかいでやりにくい時代だと感じても無理は無いが、そういう時代になってしまったことは、ひとまず率直に認めるしかないだろう。

『暗い夜道に気をつけなさい』と母親が子どもに注意すればそれは間違いなく子どもの身を案じてのことだが、暴力団が口にすれば同じセリフが脅迫にもなりうる。言葉の意味は文脈に依存するからだ。新聞記者はこれまで、取材源の発言を記者にとって都合のよい文脈の中で利用してはこなかったか。その際、取材源の発言の文脈を意図的にまげることはなかったか。取材源が発言したにもかかわらず記事に都合の悪い事実をオミットしてはこなかったか。ひとつもしてこなかったと胸を張って言える記者はいないと思うがどうか。言葉の意味を規定する文脈を独占することによって「君臨」してきたのがこれまでのマスメディアではなかったか。

『ネット君臨』が正月の連載開始時にウェブ陣営から激しい非難を浴びた主な理由は、記者によって文脈が恣意的に編集されていたためだろう。以前なら「編集上の判断」、「見解の相違」などとして読者からの批判を封じ込めてきたやり方が、ウェブ時代になって通用しなくなったきた。ウェブ以前は、読者が反論ための手段を持たなかったため、マスメディアは一方的に言いっぱなすだけで事足りた。しかし、掲示板やブログ、SNSといった反論の武器を手にした読者はもはやかっての無力な読者ではない。新聞記事の内容が事実であるかどうか、意図的な文脈操作がなされていないかどうか、肝心な事実がオミットされていないかどうか、新聞記事はウェブのまな板に乗せられ検証されるようになった。
これからの読者は、新聞記事を読み、取材源からの反論をブログで読み、広くブログやSNSで交わされる多くの意見を読むことで総合的に判断するようになる。マスメディアが力で一方的に押し切ることができなくなった。マスメディアによる唯我独尊の時代が終わったのである。新聞記者たちはこの変化を十分に自覚しているだろうか。本当はわかっていながら目をそらしてはいないか。あるいはこうした変化にいらだっているのではないか。

本書はネット言論の多くが匿名でなされていることを卑怯だと批判しているが。匿名という言葉でイメージしているのが2chだとしたら、あまりに偏ったイメージとは言えないか。匿名か実名かの論議はすでに多くのサイトで取り上げられているので深くは立ち入らないつもりだが、2chのような匿名掲示板の匿名と、ブログの固定ハンドルによる匿名は、同じ匿名であっても別物とみなすコンセンサスは、少なくともネットユーザー間では確立されてきていると思う。
もし将来、ウェブで実名使用が義務づけられるようになったら、確かに2chのような通りすがり的匿名でのコメントは減るだろう。しかし、ブログで使用されている「ネット人格」をそなえた固定ハンドル名による匿名記事の多くは実名になっても退散することなく継続されることだろう。それらのエントリーは匿名を前提としなければ書けないような誹謗中傷のたぐいではないからだ。

2chのような書き捨て御免の匿名掲示板であっても、もし新聞記事の内容につっこみどころが無ければ「祭り」にすることが不可能なのは言うまでもない。ウェブの住人は一枚岩で団結しているわけではないから、いくら悪意あるコメントスクラムを画策しても、実質のないコメントでは広くウェブ住民の賛同を得ることなどできはしない。『ネット君臨』がウェブ側からの攻撃にさらされたのはウェブをテーマにしたためばかりでなく、記事内容に前述のようなご都合主義的な文脈やオミットが発見されたことが一番の理由だろう。この点は率直に認めたらどうか。

これからの新聞は、ウェブの批判にも耐え得る記事を目差すしかない。そのためにも、これまでの手法ではもはややっていけないとの認識をまず持つことから始めるべきだろう。その謙虚さと覚悟がなければ、新聞がウェブ時代をサバイブすることは難しいに違いない。