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2008.01.31
『安息の地』

『安息の地』
出演者: ジョン・リスゴー/モーガン・フリーマン
監督: ジョン・コーティ
原題: Resting Place
製作年: 1986年
製作国: アメリカ
DVD発売日: 2008/1/25
監督: ジョン・コーティ
原題: Resting Place
製作年: 1986年
製作国: アメリカ
DVD発売日: 2008/1/25
新作DVDを借りたのに、主演のジョン・リスゴーやモーガン・フリーマンが妙に若いので、不思議に思ってチェックしてみたら、なんと1986年制作のTVMだった。1986年の映画がなぜ新作なんだ?
ウェブで情報を探してみると、未公開作品を発掘してリリースする新レーベル「Treasure Hollywood」の第1弾となるドラマ――という記事が見つかった。なるほど納得。これからもこのレーベルから日本未公開の古い映画がリリースされるなら大歓迎だ。
1972年、地方の小さな町で起きた人種差別を描くドラマ。
ベトナム戦争で名誉の戦死を遂げた黒人兵士ドワイトの遺体が生まれ故郷の町に送還されてくる。しかし、地元の白人は白人墓地への埋葬をかたくなに拒否する。
ドワイトの遺族を支援するのが遺族支援仕官であるジョン・リスゴーの任務である。リスゴーはドワイトの優秀性を証明することで町の人たちを説得しようと、ドワイトのかっての部下たちから証言を集めようとする。しかし、証言の中からドワイトの戦死を巡って意外な事実が浮かび上がってくる…
前半は人種問の緊張感がよく描かれていたので社会派ドラマを期待したが、後半は戦場で何が起こったのか? というミステリー風の展開になったため、人種問題の緊張感が分散されてしまった感がある。
後年のジョン・リスゴーは癖のある役が多くなったが、このドラマではあくまで誠実な軍人役だった。モーガン・フリーマンはドワイトの父親役だが、まだ「NYストリート・スマート」や 「ドライビング Miss デイジー 」で注目を集める前だったためか、あまり大きな役ではない。
後半のストーリー展開は、デンゼル・ワシントン、メグライアン主演の「戦火の勇気」(1996年)によく似ている。こちらが『安息の地』に似ていると言うべきだが。
若いジョン・リスゴーとモーガン・フリーマンを見たい人にお勧め。もっとも日本人の目には、20年前でも彼らは十分老けて見えるが…。
このDVDの価格は3675円だ。
TUTAYAの新作DVDの貸し出し価格は380円。ちょっと高くはないかTUTAYA。
2008.01.31
「あらたにす」今日始動
「あらたにす」が今日開設された。
一応必要なタイトル項目はそろっているようだが、実際の中味がいまいちかなあ…といった第一印象だ。朝日・日経・読売三紙の読み比べができるのが売りだが、三紙だけだし、どうせこれまでも全国の各新聞をブックマークして特に不都合なく読み比べしてきたし、「Googleニュース日本語」もある。だから新鮮さも便利さもあまり感じなかった。
もっと感想を書こうと思ったが、印象がまだ微妙なので、サイトの批評はもっと利用してからということにしたい。
ただ、前宣伝が大きかったわりには、まだ検索機能もないし、「あらたにす」独自の記事もこれからだというのは、本当にやる気があるのかどうかちょっと判断に苦しむところだ。一応ブックマークはしておいたが、定期的な読者になるかどうかはこれからの展開次第である。
一応必要なタイトル項目はそろっているようだが、実際の中味がいまいちかなあ…といった第一印象だ。朝日・日経・読売三紙の読み比べができるのが売りだが、三紙だけだし、どうせこれまでも全国の各新聞をブックマークして特に不都合なく読み比べしてきたし、「Googleニュース日本語」もある。だから新鮮さも便利さもあまり感じなかった。
もっと感想を書こうと思ったが、印象がまだ微妙なので、サイトの批評はもっと利用してからということにしたい。
ただ、前宣伝が大きかったわりには、まだ検索機能もないし、「あらたにす」独自の記事もこれからだというのは、本当にやる気があるのかどうかちょっと判断に苦しむところだ。一応ブックマークはしておいたが、定期的な読者になるかどうかはこれからの展開次第である。
2008.01.30
新たな闘いの始まりの予感
できることならタイムマシンで2001年に戻りたい。2001年4月-2006年9月まで、5年半もの長きにわたって小泉純一郎や竹中平蔵が進めてきた「構造改革」の中味を見抜けなかったことが悔やまれてならない。2001年に戻ることができるなら、彼らのやってきたことを改めて見すえたい。
「派遣社員」という言葉を初めて耳にしたのはずいぶん昔のことだった。政治経済に疎い私でもこれはよくないと直感した。それなら勉強すればよかったのに、身すぎ世過ぎでたちまち時間がたってしまった。
小泉政権を批判する識者の警告は政権発足当時からあったはずなのに、その声に耳を傾けることをしなかった。自分が「B層」であったことを認めなければならない。できることなら2001年に戻ってやりなおしたい。
以下の記事はすでに既知に属する事柄だと思うが、個人的な備忘録として書いておきたい。勘違いやあやまりが少なくないだろう。書き直す部分もあると思う。************************
「21世紀のサラリーマン社会−激動する日本の労働市場」
23前の1985年、経済企画庁は「21世紀のサラリーマン社会−激動する日本の労働市場」と題するレポートを発表した。将来の労働市場や雇用形態を予測したこのレポートは、団塊ジュニア世代が大学を卒業する頃は、もはや彼らは正社員として就職できず、不安定な非正規雇用にならざるを得ないだろうと、1985年の時点で驚くほど正確に今日の社会を見通していた。
文中「内部労働」とあるのは正社員のことで、「外部労働」は非正社員のことである
「---前略---結局のところ、内部労働市場に参入できない団塊二世たちのかなりの部分がアルバイト等外部労働市場での労働を余儀なくされるのではなかろうか。昭和六〇年代半ばには、団塊の世代は四〇代、働き盛りである。一方、団塊の世代の妻たちは子育てを終えパートタイマー等の形で労働市場に参入してくる。
この時期には団塊の世代の夫、妻、子の二世代が同時に不安定な労働市場に身をさらすことになるのである。むろん、現在のアルバイトの賃金でも若者が生活していくためには差し当たり困難はないであろう。しかし、結婚し子供が生まれ、教育費がかさむようになり、また住宅ローンを抱えるようになればアルバイトで生活することは不可能である。アルバイトを転々としながら、三〇歳前後になって内部労働市場に参入しようとしてもその壁はあまりに厚い。」
ウキペディアには、団塊ジュニアが直面した「就職氷河期」をバブル崩壊のせいにした記述が見られるが、バブル崩壊のずっと前に、来たるべき未来をこのレポートは的確に予測していたのである。だが、政治は有効な対策を講じないまま失われた1990年代を迎えた。
2008.01.30
草思社支援フェア

先日立ち寄った池袋ジュンク堂に「草思社支援フェア」コーナーが設けられていた。せっかくの独立コーナーなのだから、ポップを大胆につけるなどもっと工夫すればいいのに…。
あくまで地味な草思社。
草思社はこんなにいい本を出してきた
2008.01.28
こいつは便利だ! フリーソフト「本の検索」

アマゾン、BK1、ジュンク堂、有隣堂、紀伊国屋、丸善、楽天ブックス、古本市場、ヤフーオークション、全国の大きな図書館――
などにある書籍を横断検索できる無料のアプリケーション・ソフト。
こいつは便利だ!
vectorからダウンロードできる。
「本の検索」
2008.01.28
新ビジネスモデルの出版社「SPBS」渋谷にオープン

このところ、暗い話題の多い出版業界だが、新しいビジネス・モデルの出版社が渋谷にオープンした。
******HPから引用********
SHIBUYA PUBLISHING & BOOK SELLERS設立理念
東京都渋谷区神山町に誕生した小さな出版社 「SHIBUYA PUBLISHING & BOOK SELLERS(SPBS)」のオフィスは、編集者のミーティングスペースや編集作業オフィスが、お店に面した表通りからも書店側からも視認できるようになっています。
実はこの構造こそが、SPBSの理念=存在価値そのもの。
そうなのです、SPBS手打ち蕎麦屋さんや手作りパン屋さんのように「そこでつくってそこで売る」出版社、それが、「SHIBUYA PUBLISHING & BOOK SELLERS」です。
作家が自らの筆で原稿用紙に書き記し、自ら装丁し、お客様に手渡す……。それが書籍の原点だとするのなら、あえて、その原点に返ってみたい。
大量生産、大量販売が「是」とされ、全国津々浦々、どこの書店に行っても同じ商品しか目にすることができなくなってしまった現在の出版流通の中に浸かってしまうのではなく、自らの価値観と編集方針に従い、「真の本好き」「真の雑誌好き」に喜んでいただけるような本や雑誌をつくってみたい。
SPBSオリジナルブックだけではなく、明確な価値観の下に集められた珠玉のアートブック、単行本etcを、お客様に提供したい。
そんな想いの具現化する場所が「SHIBUYA PUBLISHING & BOOK SELLERS」なのです。
SHIBUYA PUBLISHING,LLC 業務執行代表
福井盛太拝
「店舗営業時間」
12:00〜26:00 (年中無休)
出版機能の特徴
01
編集機能と小売り機能を備えた「欧米の特色ある書店」のように、国内出版界の“常識”にとらわれない、存在感のある書籍、雑誌類を制作。
02
作家、フォトグラファー、デザイナーなど、若い才能の発掘に注力する編集体制の存在。
流通網は店頭とインターネットのみに限定。
03
住宅街(松濤)に近く、昔ながらの商店、カフェ、雑貨屋、編集プロダクション、映像プロダクションが混在する文化度の高いエリアに出店。
SPBS
(SHIBUYA PUBLISHING & BOOK SELLERS,LLC.)
2008.01.27
第27回 大阪国際女子マラソン
何度も転びながら、最後まで死力を尽くした福士選手のゴールインは感動的だった。しかし、関西テレビ/フジテレビの実況中継はまるでドキュメンタリーのような構成で、福士が脱落した途端、まだレースの山場なのにアルフィーの音楽が流れだしたのにはびっくりした。これっておかしくないか? レースが終わったのかと勘違いしてしまった。
福士が脱落した後も、テレビカメラはトップ選手を無視して、しつこく福士ばかり追っていた。後半日本人のトップになった森本選手など、かわいそうなぐらい映らなかった。マーラ・ヤマウチ選手の優勝インタビューも福士の映像で中断された。
ゴルフの石川遼の試合も同様の中継のされ方をしていたから、これからのテレビの実況中継は、純粋なスポーツ実況中継と、人気選手のヒューマン・ドキュメンタリーが渾然一体化した番組構成になっていきそうだ。一位の選手より人気選手、実況中継より感動的な演出をした方が確かに視聴率的には有効だろう。視聴者も人気選手を見たいのだから、テレビ局へのクレームは少ないに違いない。
スポーツ中継にヒューマンドラマを忍び込ませる手法は、スポーツの純粋性よりも興業の話題性を高めようとするプロレスや一部格闘技業界の常套手段である(亀田ファミリーはその好例である)。今回のマラソンレースを見ていて、一般のスポーツも同様の手法が増えてきていることを感じた。
有望選手に注目するのはいいが、いったんレースから脱落したら、どんな人気選手であっても冷たく見放して上位選手を映すのが、実況中継のあるべき姿だと個人的は考えている。それがスポーツ報道に求められるフェアネスだと思う。
********
福士選手を途中で止めるべきだったかは、本人と監督の判断にまかせるしかなかっただろう。もしプロになり、どこかの企業とスポンサー契約を交わしたら最後、体調不良でも試合を休めず、出場した以上死んでも歩けないのは、単なるガッツや根性のレベルで語れる話ではなく、スポーツビジネスとしての冷徹な現実である。
福士選手のがんばりは感動的だったが、厳しい見方をするなら、マラソンをなめていたのではないか、監督・選手とも。結果論で言っているのではなく、レース前のメディアでの発言からそう感じた。
次回に期待したい。
小倉智昭氏は好きなキャスターだが、アスリートとのインタビューでのなれなれしい態度が気になる。もう少しリスぺクトを示したらどうか。
福士が脱落した後も、テレビカメラはトップ選手を無視して、しつこく福士ばかり追っていた。後半日本人のトップになった森本選手など、かわいそうなぐらい映らなかった。マーラ・ヤマウチ選手の優勝インタビューも福士の映像で中断された。
ゴルフの石川遼の試合も同様の中継のされ方をしていたから、これからのテレビの実況中継は、純粋なスポーツ実況中継と、人気選手のヒューマン・ドキュメンタリーが渾然一体化した番組構成になっていきそうだ。一位の選手より人気選手、実況中継より感動的な演出をした方が確かに視聴率的には有効だろう。視聴者も人気選手を見たいのだから、テレビ局へのクレームは少ないに違いない。
スポーツ中継にヒューマンドラマを忍び込ませる手法は、スポーツの純粋性よりも興業の話題性を高めようとするプロレスや一部格闘技業界の常套手段である(亀田ファミリーはその好例である)。今回のマラソンレースを見ていて、一般のスポーツも同様の手法が増えてきていることを感じた。
有望選手に注目するのはいいが、いったんレースから脱落したら、どんな人気選手であっても冷たく見放して上位選手を映すのが、実況中継のあるべき姿だと個人的は考えている。それがスポーツ報道に求められるフェアネスだと思う。
********
福士選手を途中で止めるべきだったかは、本人と監督の判断にまかせるしかなかっただろう。もしプロになり、どこかの企業とスポンサー契約を交わしたら最後、体調不良でも試合を休めず、出場した以上死んでも歩けないのは、単なるガッツや根性のレベルで語れる話ではなく、スポーツビジネスとしての冷徹な現実である。
福士選手のがんばりは感動的だったが、厳しい見方をするなら、マラソンをなめていたのではないか、監督・選手とも。結果論で言っているのではなく、レース前のメディアでの発言からそう感じた。
次回に期待したい。
小倉智昭氏は好きなキャスターだが、アスリートとのインタビューでのなれなれしい態度が気になる。もう少しリスぺクトを示したらどうか。
2008.01.25
『ブロークン・フラワーズ』、『アメリカ、家族のいる風景』

『ブロークン・フラワーズ』
アメリカ 2005年監督:ジム・ジャームッシュ
出演:ビル・マーレイ/シャロン・ストーン/ジェシカ・ラング
アメリカ 2005年監督:ジム・ジャームッシュ
出演:ビル・マーレイ/シャロン・ストーン/ジェシカ・ラング

『アメリカ、家族のいる風景』 DON'T COME KNOCKING
ドイツ/アメリカ 2006年
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:サム・シェパード/ジェシカ・ラング/ティム・ロス
ドイツ/アメリカ 2006年
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:サム・シェパード/ジェシカ・ラング/ティム・ロス
心理学者のレビンソンが用いた「ミドルエイジ・シンドローム」という概念は、40歳前後の年齢が対象になる。
ユングは人生の折り返し地点を40歳と考え、この時期を人生の正午と呼んだ。この正午を過ぎると中年の門をくぐることになる。
なるほど、「中年度」には個人差があるとしても、middle-age=中年については40歳あたりがコアになると考えるのは私たちの常識とも一致する。
それでは、50歳代はどう呼べばいいのか。50歳代も中年でいいのか。中年以上を熟年と呼ぶ提案が一時期なされたが定着したとはいいがたい。中年と高年をひとまとめにした「中高年」の方が今では一般的だろう。しかし、それでは幅が広すぎるし、50歳代を高年と呼ぶことも普通ではない。
老人については、行政は老人年齢を65歳と定めて、年金の支払いも65歳からに変更された。中年と老人はある程度輪郭がはっきりしている。
しかし、40代以上65歳未満はどう呼べばいいのか。50歳代の椅子はどこに用意されているのか。この「谷間世代」やはり初老と呼ぶしかないのか。
エンカルタ百科事典の付録についてきた「小学館 国語辞典 1988」で、初老を調べてみると、
四〇歳の異称。
また、老人の域にはいりかけた年頃。女性では月経閉止期、男性では作業能力が衰えはじめたときから老化現象が顕著になるまでの期間。
とあった。
ウヘッ、40歳を初老はないだろう。いつの時代の話だ?
それ以外は間違ってはいないが、この説明では漠然としすぎていてつかみどころがない。
中年と呼ぶには歳をとりすぎているが、老人と呼ぶにはまだ若すぎる――そのくらいの世代を呼ぶ適当な呼称が日本にはないのだ。これは、おじさん、おばさんと呼ぶか、おじいさん、おばあさんと呼ぶかの問題でもある。つまり大問題である。
2年前来日したリチャード・ギアが、インタビューの中で記者から「中年」と呼ばれて驚いていたのを思い出す。なぜ驚いたのだろう。彼は1949年生まれだから50代後半だった。middle-aged では若すぎるのだろうか。
COUBUILD辞書でmiddle-agedを引いてみると、
If you describe someone as middle-aged, you mean that they are neither young nor old. People between the ages of 40 and 60 are usually considered to be middle-aged.
とある。かなりおおざっぱな説明だが、40-60歳までは中年でかまわないようだ。しかし、世代の呼称は洋の東西を問わず慎重になった方がよさそうだ。
2008.01.24
芥川賞

第138回芥川賞「乳と卵」の初版は7万部だという。
絶滅種の純文学にそれほどの読者がいるのか?
直木賞を受賞した桜庭一樹さんはひどく影が薄いのに、川上未映子さんばかりがメディアに引っ張りだこなのは、作品が評価されているからではなく、フォトジェニックでトークもおもしろい川上さんが話題になっているだけではないか――
などと、いまさらな批判はしない。
これほど出版不況が深刻になっている今、ケータイ小説でも芥川賞でも、世間の話題になって本が売れるのなら、出版界にとってよろこばしいこととして受け止めたい。
私は本屋で立ち読みするつもりだが…。

こうした装丁は、デザインの狙いはよくわかるが、広告や雑誌ならともかく、書籍には似合わない――、
これまではそう考えてきたが、なにしろタイトルが
「わたくし率 イン 歯ー、または世界」だもの。
装丁も変わらざるをえないのかも知れない。
私は、まだどこかで本を特別なものと考えているのだろう。
つまり、それは時代遅れということか。
2008.01.23
Baidu(百度)の日本語サービス開始
2008.01.23
Flashで作られたウェブブック

Flashで作られたウェブブック。 音が出るのでご注意!
これだけ優れたウェブブックを見ると、将来の可能性を感じる。

ウェブマガジン。
音声や動画をリンクさせ、マルチメディアブックにすることもできるし…。
今のところ、日本には「中味検索」程度の販促狙いのウェブマガジンしかないが、本格的なウェブブックにチャレンジする出版社、出てこい。
2008.01.22
星野道夫 写真&エッセイ集 「HOSHINO'S ALASKA」

『HOSHINO'S ALASKA』がさっきAMAZONから届いた。
サンフランシスコの出版社が出した、星野道夫の軽装小型の写真集だ(2763円)。個人的には大型の写真集より、この本のようなA4程度のサイズでソフトカバーの方が好みだ。
外国で星野がどのように紹介され、評価されているのかを知りたくて買った。写真とは別に、星野道夫のエッセイもいくつか収録されている。星野のエッセイはほとんど日本語で読んでいるが、あらためて読んでみようと思う。英語で読むとまたひと味ちがった味わいがあるかも知れない。
例えば収録エッセイ「Early Spring」の冒頭のこんな文章――
Spring has at last arrived in Alaska. and tody I will began a long season of camping.
アラスカの厳しく長い冬が終わり、待ちかねていた春が来て、また仕事を始められる星野のよろこびが、短い文章からひしひしと伝わってくる。こんな文章を読んでいると、ストーブをつけた東京の部屋に閉じこもってちまちまと仕事をしている自分が急にちっぽけに思えてくる。今年は寒いな、と背中を丸めている自分が恥ずかしくなって、アラスカは零下何度だと思っているのだ! などと意味のないことを口走ったりする。
星野道夫の写真やエッセイは、現実の些事で濁った視線を、はるか遠くのアラスカの雪原まで運んでくれるのだ。
2008.01.22
魔法のフライパン届く

魔法のフライパンが今週末に届くとのメールが来ました。
予約したのが2006年の3月ですから、約2年待ったことになります。
自社の製品に「魔法」という形容詞をつけてもユーザーから批判がないというのもすごいことです。ウェブでユーザーの使用感情報をチェックしたら、これが好意的なコメントばかりなので到着が楽しみです。
2年たって商品が届くというので、伊丹十三の古いエッセイを思い出しました。
俳優のチャールトン・ヘストンがロンドンの格式ある靴屋でブーツを注文した。届いたのは3年ほど後のことで、彼は注文したことをすっかり忘れていた。荷物を解いてみると、ブーツの中に木型が入っていて、奮闘したが、この木型がどうしても取り外せない。しかたなく、あきらめてインテリアにしてしまった――という話しだっと記憶しています。
2年待ちというのは、IT時代のドッグイヤーにあって、なんだかリッチな気分になりました。ドッグイヤーは人をせき立てますが、タートル(亀)イヤーは人を穏やかな気分にさせるようです。
2008.01.19
『ホテル・ルワンダ』

『ホテル・ルワンダ』
制作:イギリス/イタリア/南アフリカ
2004年(2006年日本公開)
監督:テリー・ジョージ
出演:ドン・チードル
ソフィー・オコネドー
ニック・ノルティ
ホアキン・フェニックス
ジャン・レノ
2004年(2006年日本公開)
監督:テリー・ジョージ
出演:ドン・チードル
ソフィー・オコネドー
ニック・ノルティ
ホアキン・フェニックス
ジャン・レノ
1994年、ルワンダではわずか3ヶ月たらずの内戦で100万人が殺されたと言われている。その大量虐殺から人々を救った実在のホテルマンの勇気と良心を描いたドラマ。
日本では娯楽性に乏しいと判断されて、当初は配給が見送られたが、ネットでの署名活動が実ってやっと公開されたいわくつきの作品だという。うかつなことに、ルワンダの虐殺もこの映画の内容も知らなかった。
いまさらながらの映画評――。
虐殺があっても今の日本のジャーナリズムは、人間が死ぬシーンや死体の映像を報道しない。湾岸戦争でもイラク戦争でも、人の死ぬ映像や死体の映像は排除され、戦争はハイテクのテレビゲームのように報道されてきた。今ではそれをおかしいと思う感覚も薄れている。しかし、ベトナム戦争までのジャーナリズムはまだ人間の死体が報道されていた。例えば、スペイン内戦に従軍したロバート・キャパの写真は、兵士が銃弾に倒れた一瞬をとらえた「崩れ落ちる兵士」だったし、石川文洋氏の報道写真には、肉片と化したベトナム兵を獲物のように得意げにぶら下げてポーズをとる米兵の姿があった。確かに残酷だが、それだからこそ見えてくるもの、理解できるものがあったと思う。
アメリカ国民にベトナム戦争の反戦意識を植え付けたとされる有名な写真(下)は、南ベトナム兵が北ベトナム兵(ベトコン)を処刑する一瞬だった(この直後射殺された。連続静止画も動画も公開された)。こうした映像は、これからは残酷だとして日の目を見なくなり、殺戮や死体はフィクションの中でしか見ることができなくなるだろう。

しかし、『ホテル・ルワンダ』はその虐殺や死体のシーンを比較的抑制した映画になっている。戦闘や虐殺を描いた戦争映画というより、極限状況でのサバイバルの物語である。実話を元にしているが、ルワンダの歴史を知らなくても理解できる。暗すぎず、地味すぎず、一般作品としてうまくまとめられているので最後まで退屈しない。ちょっと手際がよすぎてテーマとの齟齬を感じるほどだが、メーセージはストレートに伝わってくる。
ホワキン・フェニックス演じる西側カメラマンのセリフがそのメッセージの肝だろう。
「虐殺の事実を知っても、彼らは「怖いね。」と言うだけで、その後ディナーを食うのさ。誰も助けにはこない。」
ルワンダは石油資源を持たず、核を保有してもいない。外国資本が投資する魅力的な産業も観光地もない。
国際社会の無関心がルワンダの被害を拡大させたと言われているが、多くの日本人にとっても、アフリカの小国やそこでの民族紛争はいまひとつ縁遠く、実感するのが難しいのが正直なところだろう。
いや、ルワンダの虐殺どころか、身近な小さな暴力にさえ目をそらしているのが私たち自身の日常的現実ではないか。それを思うと、このホテルマンの愛と勇気は超人的である。
勇気がなくても、せめてこの映画を観て、ルワンダで起きた紛争を「目撃」することはできる。
まず知ることがすべての始まりだ。
予告編
2008.01.17
13年目の1月17日 阪神大震災
6434人が犠牲となった阪神大震災からちょうど13年になる。
13年前のこの日、いつもより早く目覚めた。
NHKのニュースではまだ兵庫県南部地震と呼んでいた。
闇の中で炎上する神戸市長田区の映像、横倒しになった高速道路の映像、崩壊した高速道路の先端で宙づりになったバスの映像、一階部分が潰れたビルの映像が今も生々しく記憶に残っている。
当時、略奪が起こらなかったことに外国メディアは驚いていたが、格差が進んだ今ならどうなっていただろう。
これだけ悲惨な震災を経験したにもかかわらず、その後、姉歯建築士などによる耐震強度偽装事件が起きたのは本当に腹立たしかった。
テレビで、「東京でなくてよかった」という発言をした大学教授がいたそうだが、地震国である日本は、いつ何時どこでまた大地震が起きても不思議のない国である。阪神大震災、新潟県中越沖地震は、神戸や新潟の出来事ではなく、日本人の体験として受け止めるのにたいした想像力は必要としないだろう。
この日を忘れないためにYouTubeで見た映像をリンクしておく。
YouTubeには、炎上する長田区の動画や、地震直後に駆けつけた被害者家族が、家族の死を知らされるシーンなど酷い映像もあるが、実際に罹災された方々やその関係者に配慮して、ここでは、生々しい動画を避けて、NHKの第一報と、外国からの投稿映像の「kobe Earthquake」だけを貼り付ける。
阪神大震災第1報
「kobe Earthquake」では、地震の規模はそれほどではなかったのに、被害がこれほど甚大だったのはなぜか? と問題提起をしている。
我々はこの問題に対する答えを出しただろうか?
When I aboke and looked at the clock,
I heard a dreadful noize
and my room began to move around.
Ryo Watanabe(17)
kobe Earthquake
「阪神大震災」
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県・淡路島の北側沖の地下16キロを震源に発生、マグニチュード(M)7・3、震度7を記録した。
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県・淡路島の北側沖の地下16キロを震源に発生、マグニチュード(M)7・3、震度7を記録した。
13年前のこの日、いつもより早く目覚めた。
NHKのニュースではまだ兵庫県南部地震と呼んでいた。
闇の中で炎上する神戸市長田区の映像、横倒しになった高速道路の映像、崩壊した高速道路の先端で宙づりになったバスの映像、一階部分が潰れたビルの映像が今も生々しく記憶に残っている。
当時、略奪が起こらなかったことに外国メディアは驚いていたが、格差が進んだ今ならどうなっていただろう。
これだけ悲惨な震災を経験したにもかかわらず、その後、姉歯建築士などによる耐震強度偽装事件が起きたのは本当に腹立たしかった。
テレビで、「東京でなくてよかった」という発言をした大学教授がいたそうだが、地震国である日本は、いつ何時どこでまた大地震が起きても不思議のない国である。阪神大震災、新潟県中越沖地震は、神戸や新潟の出来事ではなく、日本人の体験として受け止めるのにたいした想像力は必要としないだろう。
この日を忘れないためにYouTubeで見た映像をリンクしておく。
YouTubeには、炎上する長田区の動画や、地震直後に駆けつけた被害者家族が、家族の死を知らされるシーンなど酷い映像もあるが、実際に罹災された方々やその関係者に配慮して、ここでは、生々しい動画を避けて、NHKの第一報と、外国からの投稿映像の「kobe Earthquake」だけを貼り付ける。
阪神大震災第1報
「kobe Earthquake」では、地震の規模はそれほどではなかったのに、被害がこれほど甚大だったのはなぜか? と問題提起をしている。
我々はこの問題に対する答えを出しただろうか?
When I aboke and looked at the clock,
I heard a dreadful noize
and my room began to move around.
Ryo Watanabe(17)
kobe Earthquake
2008.01.13
草思社の倒産に思う

草思社の倒産が新風舎のそれと時期が重なったのは、草思社にとってもうひとつの不運だった。草思社も新風舎も出版不況のあおりをうけて倒産した、と同列に扱かっている記事を見かけたが、それはあんまりだろう。
ウェブで草思社倒産に関する記事を検索すると、たいていの記事が『声に出して読みたい日本語』などのベストセラーを出してきた中堅の出版社が、最近はベストセラーが出ないため業績が悪化した、といったほぼ同じ内容になっている。「帝国データバンク」の記事がベースになっているからだが、草思社40年の歴史がここまで単純にまとめられるのは少々気の毒な気がする。別に『声に出して読みたい日本語』にけちをつけるつもりはないが、どの記事にも同じようにこの本がトップでくりかえし紹介されると、知らない人にはこの本が草思社を代表する本のように思えてくるのではないか。それはマズイだろうと感じるのである。
ベストセラーを出す会社→ベストセラーが出なくなったから倒産――と同じ図式でかたづけるニュースばかりの中にあって、あの「2ちゃんねる」で草思社が好意的に受け止められていたのが意外だった。草思社の今回の倒産を残念に思っている2ちゃんねらーのエントリーが少なくなかったし、『ビートルズ革命』や『マザーグースのうた』に言及している投稿があったのには感心した。草思社を良心的な出版社だと考えている読者たちのイメージには今でもこうした初期のロングセラーが記憶されているのだと思う。一般のニュースにも、部数を誇るベストセラーばかりでなく、草思社のイメージを確立してきた過去の本の紹介がもっとあってもよかったのではないか。
出版部門以外の負債が倒産の引き金になったとの一部報道もあるが、出版不況はすでに共通認識になっているため、あくまで出版社の倒産として受け止められ、業界に与えたショックの大きさがウェブ情報からも推察できる。あの草思社がダメなら他もダメではないか、といった暗雲が広がっているようだ。
人文科学はこれから凋落の一途をたどるだろう、という東浩紀氏の指摘が正しいとしたら、出版業界の現状は出版不況などという生やさしい状態ではなく、出版自体が崖っぷちまで追いつめられているのかもしれない。
草思社は、個人的にも長く関わってきた出版社なので、個人としても憂鬱な気持ちになっている。しかし、複数の企業が支援を表明しており、草思社の社名を残したまま存続できる可能性も残されているそうだから、ふたたび草思社として出版活動が再開されることを願っている。
2008.01.13
Stay Hungry, Stay Foolish ジョブズの卒業式スピーチ
アップルの創業者=スティーブ・ジョブズが、2005年にスタンフォード大学で行ったあの有名な卒業式スピーチ(動画)に字幕をつけてくれた方いました。ジョブズの口から直接聴くスピーチは感動的です。
スタンフォード大学はスピーチの全文(英語)をウェブにアップし、それが有志の手によって日本語に訳され、動画がYOUTUBE(英語)にアップされ、今回その動画にstratosさんが日本語字幕をつけてくれました。
ジョブズのスピーチの素晴らしさもさることながら、そのスピーチが有志の手によってこうして広がるウェブも素晴らしいと思います。
2008.01.11
書籍の電子化
国会図書館の蔵書をデジタル化するための法改正に政府が着手するらしい。

国会図書館の膨大な本が自宅に居ながらネットで検索できるようになればそれは単純に素晴らしいと思うけど、すぐ気になるのは、スキャンにかかる手間やコストとスキャンの品質、それに著作権問題だ。googleでさえ一日3000冊程度のスキャンしかできないそうだから、3000万冊(本当にそんなにある?)だと、頑張っても10年近くかかることになる。
言ってもしかたないことだけど、残り時間の限られている中高年からすれば、そんなに先のことなの? もっと急いでくれない? と思わなくもない。事務所の紙の書類をpdf化した経験からいって、スキャンという作業は死ぬほど辛気くさい作業なので、効率化は期待できないと思う。人海戦術でやるしかないだろうが、予算は十分あるのだろうか。
全文検索の場合の著作権問題がどうなるのかは不勉強なのでよくわからない。
その他にもいろいろと問題が発生しそうな気がするが、不勉強なので今のところ「気がする」としか言えない。アメリカは電子化の先進国なので具体的な議論がなされているようだが、資料がみんな英語なので敷居が高い。
まずは、「何のための電子書籍化なのか」という基本的なところから勉強することにして、おいおい当ブログに備忘録としてアップしていきたい。
国会図書館の本、全国で閲覧可能に・法改正へ政府着手
貴重な名著をいつでもどこでも読めるように――。3000万冊を超える国会図書館の蔵書をデジタル化して全国で閲覧可能にするための法改正に政府が着手する。まずは都道府県立図書館の専用端末と接続。将来はインターネットを通じて自宅やオフィスで簡単に読めるようにする方針だ。
政府は5月ごろまとめる知的財産推進計画2008にこの方針を盛り込み、2009年の通常国会での法改正を目指す。
[2008年1月7日]
貴重な名著をいつでもどこでも読めるように――。3000万冊を超える国会図書館の蔵書をデジタル化して全国で閲覧可能にするための法改正に政府が着手する。まずは都道府県立図書館の専用端末と接続。将来はインターネットを通じて自宅やオフィスで簡単に読めるようにする方針だ。
政府は5月ごろまとめる知的財産推進計画2008にこの方針を盛り込み、2009年の通常国会での法改正を目指す。
[2008年1月7日]

電子図書googleのスキャン。
見事なまでに手が写っている。「あちら側」の覇者googleも、「こちら側」の作業の品質には問題があるようだ。スキャンは根気勝負のアナログ作業なのだということがわかる。
見事なまでに手が写っている。「あちら側」の覇者googleも、「こちら側」の作業の品質には問題があるようだ。スキャンは根気勝負のアナログ作業なのだということがわかる。
国会図書館の膨大な本が自宅に居ながらネットで検索できるようになればそれは単純に素晴らしいと思うけど、すぐ気になるのは、スキャンにかかる手間やコストとスキャンの品質、それに著作権問題だ。googleでさえ一日3000冊程度のスキャンしかできないそうだから、3000万冊(本当にそんなにある?)だと、頑張っても10年近くかかることになる。
言ってもしかたないことだけど、残り時間の限られている中高年からすれば、そんなに先のことなの? もっと急いでくれない? と思わなくもない。事務所の紙の書類をpdf化した経験からいって、スキャンという作業は死ぬほど辛気くさい作業なので、効率化は期待できないと思う。人海戦術でやるしかないだろうが、予算は十分あるのだろうか。
全文検索の場合の著作権問題がどうなるのかは不勉強なのでよくわからない。
その他にもいろいろと問題が発生しそうな気がするが、不勉強なので今のところ「気がする」としか言えない。アメリカは電子化の先進国なので具体的な議論がなされているようだが、資料がみんな英語なので敷居が高い。
まずは、「何のための電子書籍化なのか」という基本的なところから勉強することにして、おいおい当ブログに備忘録としてアップしていきたい。
2008.01.08
新風舎倒産
例の「新風舎」が倒産するようだ。
テレビ報道(「NHKクローズアップ現代」)も新風舎問題の所在を広める働きをしたと思うが、実情を詳しく取り上げて継続的に批判してきたのはウェブ(その多くはブログ)だった。ウェブによる批判が無かったら新風舎が倒産する事態にまでは至らなかったのではないか。
「一般に出版界はめったなことでは同業者を批判しない。大手出版社でも自費出版部門を持っているし、企業とのタイアップで制作される書籍は多い。書籍まるごとが企業広告になっていることさえある。著者が経費を負担する出版ビジネスを否定することは、自分のビジネスの足元を揺るがすことになってしまうのである 」
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000005137
出版界のこうした事情に加えて、系列化された新聞社とテレビ局が出版部門も抱えているため、マスメディアによる新風舎批判はこれまであまり期待できなかった。中でも、特に記しておきたいのは、朝日新聞の新風舎へのなまぬるい報道ぶりだ。ここに至っても朝日の報道は新風舎に借りでもあるかのような内容であり、予備知識の無い読者が朝日の記事を読んでも新風舎の疑惑商法ぶりはまったく理解できないだろう。
そんな中にあって、新風舎の悪徳商法を暴いたのがウェブだったというわけだ。騙された当人が自分のブログで書いているのだから説得力がないわけがない。
ウェブには記事スペースの制限がない、当事者の直接体験や、利害のからまない大勢の第三者の意見が聞ける――など、マスメディアにはない特長がある。
特に、大勢の人の声に接することができる点が重要だ。ひとつひとつの記事は断片的で信憑性に疑いがあっても、その数がはんぱじゃない上、広範囲に渡るから、いわゆる「群衆の叡智」効果を期待できる。人は普通利害のからまない事柄でウソをついたりしないから、利害関係者のウソは結果的に駆逐されることになる。
「新風舎」と「詐欺」をキーワードに検索すると96900件のヒットがあった。内容を読むまでもなく、その数だけである程度の判断ができるはずだ。今回の新風舎の倒産はウェブによる批判が引導を渡したといっても過言ではないだろう。しかし、事実上の倒産発表の時点で、まだ1100人もの人が自費出版本製作途中だったというから、これらの人たちは「デジタル・デバイド」被害者というべきだろうか。
ウェブ情報は今や必須である。
むしろ新風舎問題の問題点とは、これを詐欺だと思わない、思いたくない人たちが大勢いたところにあるのでは?
という指摘も興味深い。
テレビ報道(「NHKクローズアップ現代」)も新風舎問題の所在を広める働きをしたと思うが、実情を詳しく取り上げて継続的に批判してきたのはウェブ(その多くはブログ)だった。ウェブによる批判が無かったら新風舎が倒産する事態にまでは至らなかったのではないか。
「一般に出版界はめったなことでは同業者を批判しない。大手出版社でも自費出版部門を持っているし、企業とのタイアップで制作される書籍は多い。書籍まるごとが企業広告になっていることさえある。著者が経費を負担する出版ビジネスを否定することは、自分のビジネスの足元を揺るがすことになってしまうのである 」
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000005137
出版界のこうした事情に加えて、系列化された新聞社とテレビ局が出版部門も抱えているため、マスメディアによる新風舎批判はこれまであまり期待できなかった。中でも、特に記しておきたいのは、朝日新聞の新風舎へのなまぬるい報道ぶりだ。ここに至っても朝日の報道は新風舎に借りでもあるかのような内容であり、予備知識の無い読者が朝日の記事を読んでも新風舎の疑惑商法ぶりはまったく理解できないだろう。
そんな中にあって、新風舎の悪徳商法を暴いたのがウェブだったというわけだ。騙された当人が自分のブログで書いているのだから説得力がないわけがない。
ウェブには記事スペースの制限がない、当事者の直接体験や、利害のからまない大勢の第三者の意見が聞ける――など、マスメディアにはない特長がある。
特に、大勢の人の声に接することができる点が重要だ。ひとつひとつの記事は断片的で信憑性に疑いがあっても、その数がはんぱじゃない上、広範囲に渡るから、いわゆる「群衆の叡智」効果を期待できる。人は普通利害のからまない事柄でウソをついたりしないから、利害関係者のウソは結果的に駆逐されることになる。
「新風舎」と「詐欺」をキーワードに検索すると96900件のヒットがあった。内容を読むまでもなく、その数だけである程度の判断ができるはずだ。今回の新風舎の倒産はウェブによる批判が引導を渡したといっても過言ではないだろう。しかし、事実上の倒産発表の時点で、まだ1100人もの人が自費出版本製作途中だったというから、これらの人たちは「デジタル・デバイド」被害者というべきだろうか。
ウェブ情報は今や必須である。
むしろ新風舎問題の問題点とは、これを詐欺だと思わない、思いたくない人たちが大勢いたところにあるのでは?
という指摘も興味深い。
2008.01.01
「エッ対」というタイトルの本?

とうとうこんなのが出た。
表紙を見ただけではなんのことかわからないが、大きな「エッ」という文字はエッセイの「エッ」である。残りの「セイ」は裏側に同じ大きさの文字で書かれている。
しかし、本のタイトルはエッセイではなく「モノローグ」である。
もう一冊。

「対」は対話の「対」であり、「話」は同じように裏側にある。
こちらもタイトルは「対話」ではなく、「ディアローグ」である。。
二冊とも著者は平野啓一郎氏で、書店の平台に並べて置かれていたので、最初はタイトルを二冊に分けたデザインかと思った。しかし「エッ」と「対」をつなげても「エッ対」では意味が通らないので、なんのことだろうと訝しんだ。裏や帯を見て初めてタイトルを知ることができた。
編集者やデザイナーの独断でここまで変則的なデザインが生まれるとは考えにくいから、たぶんこの二冊のコンセプトは著者である平野氏の発案だったと思われる。(平野氏は装丁にも関心が高い作家で、彼の著書『あなたが、いなかった、あなた』のカバーデザインではレコードジャケットのような写真にしたいと写真家に要望している。)
「エッ」や「対」はその位置と大きさからしてタイトルに見える。しかしすでに述べたようにタイトルではない。そればかりか、一見してわかるように、「エッ」や「対」だけでは「エッセイ」「対話」と普通に意味をとることもできず、意味のない記号にしか見えない。
では、発案者はこれらのデザインにどのような効果を期待したのだろう。
このデザインから推測できる発案者の意図は、
1)文字が大きいから目立つ効果。
2)意味がわからないことが謎を呼んでかえって注目される効果。
――であるように思われる。
そうであるとしたら、意図した効果は上がっているだろうか?
私にはそうは思えない。ここまで変わったデザインを誰もが実行できるわけではないので発案者の積極さと押しの強さは認めるが、コンセプトが斬新なわけではない。単に変則的なだけである。 近所の駅前に古本屋があって、そこでは「本」という字をさかさまにした看板を掲げているが、それと同様の目立てばよしとする安直な考えでしかない。
装丁の”なんでもあり”はとうとうここまで来たかと思う。
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