2008.01.01
「エッ対」というタイトルの本?

とうとうこんなのが出た。
表紙を見ただけではなんのことかわからないが、大きな「エッ」という文字はエッセイの「エッ」である。残りの「セイ」は裏側に同じ大きさの文字で書かれている。
しかし、本のタイトルはエッセイではなく「モノローグ」である。
もう一冊。

「対」は対話の「対」であり、「話」は同じように裏側にある。
こちらもタイトルは「対話」ではなく、「ディアローグ」である。。
二冊とも著者は平野啓一郎氏で、書店の平台に並べて置かれていたので、最初はタイトルを二冊に分けたデザインかと思った。しかし「エッ」と「対」をつなげても「エッ対」では意味が通らないので、なんのことだろうと訝しんだ。裏や帯を見て初めてタイトルを知ることができた。
編集者やデザイナーの独断でここまで変則的なデザインが生まれるとは考えにくいから、たぶんこの二冊のコンセプトは著者である平野氏の発案だったと思われる。(平野氏は装丁にも関心が高い作家で、彼の著書『あなたが、いなかった、あなた』のカバーデザインではレコードジャケットのような写真にしたいと写真家に要望している。)
「エッ」や「対」はその位置と大きさからしてタイトルに見える。しかしすでに述べたようにタイトルではない。そればかりか、一見してわかるように、「エッ」や「対」だけでは「エッセイ」「対話」と普通に意味をとることもできず、意味のない記号にしか見えない。
では、発案者はこれらのデザインにどのような効果を期待したのだろう。
このデザインから推測できる発案者の意図は、
1)文字が大きいから目立つ効果。
2)意味がわからないことが謎を呼んでかえって注目される効果。
――であるように思われる。
そうであるとしたら、意図した効果は上がっているだろうか?
私にはそうは思えない。ここまで変わったデザインを誰もが実行できるわけではないので発案者の積極さと押しの強さは認めるが、コンセプトが斬新なわけではない。単に変則的なだけである。 近所の駅前に古本屋があって、そこでは「本」という字をさかさまにした看板を掲げているが、それと同様の目立てばよしとする安直な考えでしかない。
装丁の”なんでもあり”はとうとうここまで来たかと思う。
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